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京都地方裁判所 平成11年(レ)67号 判決

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  控訴の趣旨

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人に対し、平成九年五月一日付で被控訴人京都支店が作成した控訴人名義の普通預金通帳一通を引き渡せ。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じて被控訴人の負担とする。

第二  事案の概要

本件は、控訴人が、銀行業を営む被控訴人に対し、預金契約に基づく預金通帳の引渡しを請求した事案である。

一  控訴人の主張(請求原因)

1  控訴人は、平成九年五月一日、被控訴人京都支店との間で預金契約を締結し、控訴人名義の普通預金通帳一通の交付を受けた(以下「本件預金契約」という。)。

2  しかしながら、右交付後、被控訴人京都支店のお客様サービス課・課長代理佐藤裕子(以下「佐藤」という。)に、右通帳を取り上げられた。被控訴人京都支店は、以後、右通帳を控訴人に返してくれない。

3  本訴請求

よって、控訴人は、被控訴人に対し、本件預金契約に基づき平成九年五月一日付で被控訴人京都支店が作成した控訴人名義の普通預金通帳の引渡しを求める。

なお、被控訴人は、当初(平成一〇年一月三〇日に申立後半年以上にも及ぶ調停段階も含めて)、控訴人に対して本件預金契約が無効であるとは主張しておらず、本訴に至って始めて錯誤無効を主張しているが、そのような時機に遅れた主張は不当である。

二  被控訴人の主張(請求原因に対する認否等)

1  請求原因1及び2は認める。

2  控訴人は、平成八年一〇月九日、被控訴人広島支店に対し、取引先からの入金を受けるためとして銀行預金口座の開設を申し入れたが、控訴人の希望する申入れ事項が被控訴人において入金処理を行うにあたって振込先の照会ができないなど事務処理上支障を来す内容のものであった。そこで、被控訴人は、右申入れ事項では口座を開設することができない旨回答し、右申入れ(預金契約)を拒否した。

次に、控訴人は、同月二一日、被控訴人本店(前記肩書地所在)に対して、電話にて直接、右同様の申入れを行ったが、被控訴人本店はこれを断った。

3  すると、控訴人は、被控訴人広島支店や同本店及び被控訴人頭取や役員らの自宅に対して度々執拗に電話をかけて抗議したり、被控訴人広島支店に来ては拡声器を用いて被控訴人を非難したほか、インターネットのホームページ上で被控訴人を誹謗中傷するなどの行為に及んだので、被控訴人は、控訴人とは円滑な銀行取引をすることはできないと判断し、平成九年三月頃、全国の支店に対して、控訴人から依頼を受けても預金口座を開設しないよう通知を発した。

4  ところが、被控訴人京都支店の窓口担当者であったA(以下「A」という。)は、右通知の注意を受けていたにもかかわらず、同支店に対して預金口座の開設を申込んできた人物が控訴人であることを見落とし、誤って預金口座の開設に応じ、本件預金契約を締結した。

被控訴人の窓口担当者は、預金口座の開設申込者が控訴人であることに気付いていれば、これを拒絶したことが明らかであるところ、誤って開設に応じたとすれば、法律行為の要素の錯誤があったというべきである。

したがって、本件預金契約は、錯誤により無効であるから、無効の契約により、発行済みの預金通帳を控訴人に引き渡す義務はない。

三  争点

本件預金契約に関する被控訴人の錯誤の有無(誤信の有無、要素の錯誤か否か)

第三  当裁判所の判断

一  事実関係

前記争いのない事実、証拠(乙四ないし六、証人佐藤裕子[原審]、控訴人本人[原審])及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  控訴人は、平成八年一〇月九日、被控訴人広島支店に対して、被控訴人預金口座の開設を申込むにあたり、次のような希望を述べた。

(一) 控訴人はレンタル電話業等を営んでおり、全国から入金がある。そのため、東京都にある被控訴人本店に控訴人名義の預金口座を開設したい。

(二) 届出住所は現実の住所ではない東京都内の某所としたい。

(三) 控訴人個人名だけではなく、「アート」や「エース」などの肩書が付いた受取人名で現金が振り込まれることがあるが、入金処理して欲しい。

2  右申込みに対し、被控訴人広島支店は、受取人名義が一定していない場合は、銀行取引上、正しく振り込まれた金員であるか否かをチェックした上で入金処理しなければならず、そのために入金不能扱いになる場合もある上、口座開設希望地(東京都)が控訴人の住所地(広島市)から遠隔であるために照会事務等に支障を来すおそれがあるなどとして、控訴人の希望どおりの口座を開設することはできない旨告げた。

3  そこで、控訴人は、同月二一日、今度は被控訴人本店に対して、同店に控訴人名義の預金口座を開設するよう申し入れた。ところが、被控訴人本店も、右2の被控訴人広島支店と同様に、控訴人の住所地が広島市内であることから各種照会事務に支障を来すので口座を開設することができないと判断し、同月二三日、その旨回答して右申入れを断った。

4  すると、控訴人は、右の処理を巡り、被控訴人広島支店や同本店及び被控訴人頭取や同役員らの自宅に対して度々執拗に電話をかけて抗議したり、被控訴人広島支店に出向いては拡声器を用いて被控訴人を非難したほか、各地の銀行協会宛に被控訴人に対する抗議文をFAX送信したり、インターネットのホームページ上で被控訴人を誹謗中傷するなどの行為に及んだ。そこで、被控訴人は、弁護士を代理人として控訴人と話し合ったが、紛争解決するには至らず、その後も控訴人は、被控訴人に対する右抗議活動を止めなかった。

その結果、被控訴人は、右のような状況では、とうてい控訴人とは円滑な銀行取引をすることができないと判断し、平成九年三月頃、全国の支店に対して、控訴人から依頼を受けても一切預金口座を開設しないよう通知を発した。そして、被控訴人京都支店においても、同月一一日に、窓口担当者らに対して一斉に右注意事項が伝達された。

5  一方、控訴人は、被控訴人の右対応を察知し、被控訴人広島支店では、預金口座をすることができないと思い、平成九年五月一日の昼頃、突然、被控訴人京都支店に来店し、預金口座の開設を申し入れた。右当時、同支店の窓口を担当していたAは、右注意事項の伝達を受けていたものの、預金口座の開設を申込んできた人物が控訴人であることを見落とし、他の一般顧客と同様の手続を経て申入れに応じ、一旦は控訴人名義の総合預金口座を開設し、預金通帳を発行した。

6  控訴人は、右発行を受けた後、かねてから顔見知りであった佐藤をカウンターに呼びつけ、預金口座の開設が受けられたことを知らせるとともに、預金口座の番号が気にいらないので変更できるなら変更して欲しい旨述べ、佐藤に右通帳を手渡した。

そこで、佐藤は、その人物が控訴人本人であることを認識するとともに、窓口担当者が誤って控訴人に対する預金契約の締結に応じたことを知った。また、その旨報告を受けたAも、控訴人とは知らずに口座の開設に応じたことに気付いた。

続いて佐藤は、被控訴人京都支店お客様サービス課課長・早田芳幸に右の事実を報告し、早田から、控訴人に対し、預金通帳を交付することはできない旨の回答がなされた。

二  判断

1  右認定事実によれば、Aが、本件預金契約を締結するにあたり、控訴人に対しては預金契約を締結しないよう伝達を受けていながら、控訴人を通常の一般顧客と思って口座開設手続を行っているのであるから、相手方の同一性・属性を誤信していたことは明らかである。

2  ところで、通常、銀行は、広く一般市民から預金を受け入れることを業務の基本としている以上、多量かつ定型的に預金口座の開設を受けるにあたり、通常は、特に相手方(申込人)の個性は格別重視されない側面が存することは否定することができない。

しかしながら、銀行といえども一私企業であることに変わりはない上、銀行に対する信頼を裏切りかねない不明瞭な取引関係が予想される場合は、必ずしも顧客の希望どおりの取引を行うべき義務を負っているわけではないのは明らかで、さらに、具体的事情によっては、取引関係に立つことが不都合であり、かつ業務に重大な支障を来すことが予想される相手方と取引を拒否することも合理的理由があるというべきである。

そして、前記認定の事実及び弁論の全趣旨に窺われる控訴人の活動・言動、その他本件に現われた一切の事情からすれば、銀行業務の公共性を踏まえたとしても、被控訴人が控訴人と取引関係に立つことを拒否するよう各支店及び担当者らに伝達したことが不合理であるとはいえない。

そうすると、被控訴人の窓口担当者が預金契約を締結するにあたり、相手方が、一般顧客であるか、控訴人であるかは重要な要素に該当すると認められ、Aが、誤って控訴人と預金契約を締結したことは、要素の錯誤に基づいてなされたことになるから、本件預金契約は民法九五条により無効となる。

よって、本件預金契約が無効である限り、控訴人は右契約に基づいて預金通帳の引渡しを求めることはできない。

3  なお、控訴人は、被控訴人は、当初(半年以上にも及ぶ調停段階も含めて)、本件預金契約が無効であるとは主張しておらず、本訴に至って初めて錯誤無効を主張したものであり、不当である旨主張する。しかし、弁論の全趣旨によれば、被控訴人としては、預金通帳を引き渡さないことを前提として控訴人と円満に和解を望んでいたものの、控訴人が頑なにこれに応じなかったばかりか、本訴を提起したために、被控訴人としてはやむを得ず法的な主張として錯誤無効の抗弁を主張した経過が窺われるところ、不誠実な交渉や不当な訴訟活動を展開していたとはとうてい認められない。したがって、控訴人の右主張は失当である。

第四  結論

以上のとおり、本件預金契約の締結に関して被控訴人の錯誤無効を認めた原判決は相当であるから、本件控訴は理由がない。よって、主文のとおり判決する。

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